【あれから5年】思うこと

今日は2016.3.11(金)

あれから5年。

 

5年前の今頃、私は迷いに迷い、頭の中はたくさんの???で埋め尽くされていました。

 

リビングの真ん中で毛布にくるまってスヤスヤと眠っていた三女を、起こすかどうか。

 

次女の保育園の保護者会、夕方からなんだけど・・・やるの??

それともどこかに避難した?

 

長女は今どこにいるんだろう?学校?学童?その途中??

 

仕事してて良いの?お迎えに出た方が良いの?

 

自転車で良いの?歩き?地割れしてたらどうしよう!

 

 

3人の母親となって10ヶ月。

子供たちの関わる場所がみんなバラバラ。

繋がらない電話。

ただでさえ数々の点を線にするような脳内作業をする毎日に

更に増えたいくつもの点。

 

 

思い出すことは書ききれないほどあるけど、ひとつ挙げるとしたら

 

持つべきは地元のママ友!

 

震災の日に一緒に家にいさせてくれたお友だちに、私はかなり救われました。

 

今日のラジオでも「地域のつながりの大切さ」について、たくさん耳にしています。

本当にそう思います。

 

 

困った時に差し伸べてくれる手。

私の周りのお友だちはみんな、優しくて暖かくて。

ありがたくてありがたくて、書いてる今も泣けてきますわ・・・

みんなありがとね。

 

 

忘れないようにと思いながらも、きっと忘れてしまっていることもあるのかも知れません。

慣れてしまったことも多々あるかと思います。

 

でもこうやって思い出すことで、少しでも初心に戻れるように。

心を向けていきます。

 

*****

 

あれから5年。

 

小学生だった長女は思春期に。

保育園児だった次女はもうすぐ高学年。

ハイハイしていた三女が、次女の年に。

そしてまたしても3人が関わる場所がバラバラの年。

 

 

みんなすくすくと成長してくれています。

あの時あれだけ「生きてるだけで」と言っていたのに

つい色々口を出してしまう私。

 

忘れないように、慣れないように、毎年この日は振り返る日になりそうです。

 

2011.3月のブログを読んでみました。

私、ヤバイわ・・・

このしばらく後に「あの時のjuneちゃん、ヤバイと思ってたー」ってママ友に言われたんだったわ。

 

 

そしてあの日、6時間かけて都心から歩いて帰ってきたオット。

あれから5年。

あの時以上に私と子供たちを支えてくれてるなー。。。

だっていざとなったら、あんなんなっちゃうようなツマだもんね、仕方ないか。

って恥ずかしいからここまで!(笑)

 

 

最後に、今も行方不明のたくさんの方が、家族に会えますように。

今も辛いものを抱えている人の心が、少しでも軽くなりますように。

みんながささやかな幸せを感じられる日々を送れますように。

 

文章力がなくて。。。乱文でスミマセン。

今日この日に思ったことを書いてみました。

 

plume

野宮 純子

コメント

  1. yy より:

    あの時期、こころやさしい?人ほどってこともないかな。
    みんな、どこか、おかしかったですよ。
    私はもともとテレビでニュースをそう見ない人だったので、
    映像としてはそんなに見てないんですが、普通につける習慣だった方は
    大変だったろうなとも、思います。

    もう五年ですね。あのときお腹の中だった子が、もうすぐ年中です。
    ミーちゃんももう年長さんですね。

    うまく言えませんが、日々を、子供の笑顔を守るべく、頑張りましょう。

    • plume より:

      そうか、私だけではなかったですかね。
      連日の津波映像は、心にぐっさりきました。

      私もテレビはほとんど観ないのですが、さすがに直後の余震が多い時期はつけてました><

      あの時、まだお腹の中だったのですね。
      それがこんなに大きくなって・・・って感慨深くなります(*´ー`)

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